◎海外留学
高校時代の盟友がスラムダンク奨学金でアメリカへと進んだ中、国内の大学を選び、後輩がNBAへと進んだ中、30歳手前にしてサマーリーグへ参加。ついでにオーストラリアにも遅れて留学するなど、日本トップ選手として国内での地位を固めながら、遅れた海外留学が目立ちました。
前述のとおり、ユーロ系のプレースタイルに向いていたタイプなので、大学卒業くらいで海外へ行っていれば異なる結果が待っていたかもしれません。アメリカは難しいだろうけど、ユーロだったらなれさえすれば・・・とは思ってしまう。でも、そういう強気なメンタリティではないからこそ上手く言った部分もあるしね。
サマーリーグではよくわからんポジションをさせられ、よくわからんまま帰ってきていました。器用貧乏とはいえシュート力タイプじゃないのにさ。海外でやるには我の強さというか「自分の武器はコレ」というものをアピールする姿勢が大事ですが、シグニチャームーブを持ちながらもコレといった武器がなく、何でもできていることが、何にもできないような状況にもなっています。
本来はドンチッチみたいな感じでやれば、国内ではもっと偉大だったし、富樫や河村の出番はぐっと減っていた可能性すらあります。クラッチの強さに反して、平常時の弱みだったり、PGとしてのプレー歴の短さから戦術的なプレーパターンが少ないことがネックにもなっています。
まぁ他の日本人PGも同じなんだけど、身体能力で勝負しないならば、もっとコンビプレーのパターンを理解していないと、単純な1on1になってしまうもんね。そういう意味ではパス能力も持っているのに、プレーメイク能力の低さが目立ってもいました。キックアウトは上手いのにさ。
◎いじられ
後輩から弄られまくるキャラですが、そもそも無双していた大学時代の最後のインカレで1年下のライバル田中大貴に抑え込まれると、その後も続いたライバル関係の中、東京オリンピックではスターターPGになったのも田中大貴でした。
日本のエースになるはずだったけど、富樫・渡邊・八村と海外留学していた下の世代が強すぎて中途半端。かといって国内でも田中や馬場がいてウイングとしてトップとも言い切れず。しかし、そんなライバルたちに負けるわけでもないので、時にはエース級の活躍もするじゃん。
つまりエースじゃないからといって外されるタイプでもなく、エース以外でもそれなりに仕事は出来る。でも、調子悪い日はどうにもならん。非常に読みにくいタイプであり、偉大なる後輩たちとの戦いがメインになった変わり者でもありました。
ホーバス時代では代表から外されかけたけど、何故だか戻ってきて最終的にはパリオリンピックへと進める原動力となり、変わらぬクラッチと世界大会でも強みも発揮しました。スターターSGになったかと思ったらパリではやっぱり微妙。ここまでのらりくらりとアップダウンのあった選手も珍しい。でも常に代表にはいたんだ。
そんな比江島がいなくなる日本代表。
多分、あんまり困らない。
ただし、「あんまり」以外が訪れるのは世界大会の厳しいシチュエーションの時。
比江島を思い出さずにはいられなくない試合が来るのだろうか。
3Pが主流となった状況でもしっかり対応できてたスキルセットは日本人の中でも歴代トップクラスですね。
ほんと性格的なところでもう少し我が強かったら海外挑戦も変わっていたのかもしれませんね…
まあのほほんとしたところも比江島選手の魅力ですが。
もしくは今のように大学から留学する環境が当たり前になりつつある時代だったら、NBAでプレーしている可能性もあったのかなと思います。