日本バスケを変えそうだった男

◎代表活動

初めて代表に選ばれたのは2012年。この頃の日本代表がどんな状態だったかというと、なかなか面白いWikがあります。竹内時代真っただ中の日本は、ホーム開催のアジアカップで決勝まで進み、イランに惜しくも2点差で敗れて準優勝。渡邊雄太が参加した前回大会だってアジアカップで優勝できなかったのに、準優勝というのは良い成績です。

しかし、ビジネス的には大失敗とのこと。強化かビジネスか。どっちなんだい。結果とは異なっての大失敗はJBAという組織の問題を物語りまくっています。(ちなみに現在のアジアカップとはフォーマットが異なるよ)

その後、ワールドカップへと繋がるアジア選手権(チャンピオンシップ。今のアジアカップ)は予選敗退。なんとアジアカップで準優勝させたHCはクビになりましたとさ。いろんな意味で地獄のような状況。

ある意味で次の時代の主役として育成されてよい状況で日本代表に選出されたわけです。191センチのビッグガードを中心に、ベテランの竹内ツインズと帰化選手がいれば、そこそこ結果も残せそうじゃん。

しかも2016年には大学時代のHCである長谷川健志が代表HCに就任します。大学バスケ界最強チームを作ったHCとエースで日本代表も!という目算だったのかなんなのか。4月の就任から、7月のアジアカップで6位。9月の仁川アジア大会で3位と結果も残り(?)順風満帆・・・

・・・というタイミングでJBAがガバナンス問題でFIBAから制裁を食らいます。

振り返ってみれば日本代表として竹内ツインズ時代の不遇さは成績とはかけ離れた部分で起こりまくっています。腐った組織JBAによって、代表とは価値のないものにすら見えてきました。

さて、この期間で日本待望のビッグガードは明確なチームの顔に・・・なれませんでした。若くして代表へと選出された期待の星は、期待から脱皮することが出来なかった。リーグではトッププレイヤーの仲間入りをしていたけれど、我を押し通せない性格もあってかね。

日本バスケを変えそうだった男” への1件のフィードバック

  1. 3Pが主流となった状況でもしっかり対応できてたスキルセットは日本人の中でも歴代トップクラスですね。
    ほんと性格的なところでもう少し我が強かったら海外挑戦も変わっていたのかもしれませんね…
    まあのほほんとしたところも比江島選手の魅力ですが。
    もしくは今のように大学から留学する環境が当たり前になりつつある時代だったら、NBAでプレーしている可能性もあったのかなと思います。

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