ペイサーズの偉大なる第3PGは、通常の第3PGの役割や貢献度から逸脱し、ゲームのリズムを変え、ハリバートンの穴を埋め、チームに活力をもたらしてきました。特にファイナルではサンダーの強烈なディフェンスを成立させないドライブが効果的で、ペイサーズをゲーム7まで導いた立役者といっても過言ではありませんでした。
サンダーのディフェンスは平面の強烈なプレッシャーが特徴ですが、前提にあるのは個人マッチアップでやられないこと。1on1でイージーに突破されないからこそヘルプ&カバーが成立するし、ダブルチームからのローテも間に合うのですが、マッコネルが簡単に突破してくるため普通のチームのディフェンスみたいになってしまいました。
これをエース格ではなく、第3PGが実行しているのが脅威だし、ハリバートンとネムハードがパスとコンビプレー、シューティングでオフェンスを構築していくのに対して、スピードアタックから崩していくというのもペイサーズのオフェンス戦略に深みを加えています。
185センチ、86キロという体格から「日本人が目指すべきガード像」なんていわれたりもしますが、実際には日本人以外もマッコネルになれていないわけで、極めて特殊な存在だし、そこには歩んできたルートも関係してきます。
ちなみに日本人で似たような体格のPGをCopilotに出してもらうと
盛實海翔
大倉颯太
鵤誠司
この辺りになってきます。彼らがスモールガードとして活路を見出すってのはなんか違うわけだし、純PG扱いもされないできたよね。マッコネルを目指そうとしても、マッコネルじゃないポジションになってしまうのは悲劇かもしれない。
◎キャリア
あまり特集しない選手なのでキャリアについてCopilot先生に作ってもらいました。
T.J.マッコネルのNBA入りまでの道のりは、まさに「努力と粘り強さの象徴」と言えるストーリーです。
– 高校時代:ペンシルベニア州ピッツバーグ近郊のシャルティエズ・バレー高校で父親の指導を受けながらプレー。最終学年では平均34.2得点・8.2リバウンド・9.1アシストという驚異的なスタッツを記録し、州の最優秀選手にも選ばれました。
大学キャリア:デュケイン大学で2年間プレーし、A-10新人王やオールディフェンシブチームに選出されるなど活躍。その後、より高いレベルを求めてアリゾナ大学に転校。NCAAトーナメントでは2年連続でエリート8に進出し、Pac-12のオールディフェンシブチームにも選ばれました。
ということです。妹がWNBAにはいったように意外なエリート家族になっていますが、ペンシルバニア州の最優秀選手なのだからスーパー。大学時代も自分がプレーできるところで活躍し、レベルを上げてNCAAトーナメントのエリート8だってさ。
ドラフトでは指名されなかったのでドラフト外でサマーリーグ参加からでしたが、見事に1年目で契約を勝ち取りました。この頃のシクサーズは『ザ・プロセス』の初期になっており、2015年ドラフトでは3位でオカフォーを指名しています。10年後、ドラフト3位が日本にきて、ドラフト外がファイナルで活躍してるんだもんな。ちなみにオカフォーはルーキーシーズンに17.5点をとっており大活躍でした。
〇ルーキーシーズン
19.8分
6.1点
FG47%
3P35%
3.1リバウンド
4.5アシスト
1.7ターンオーバー
1.2スティール
メインオプションがイシュ・スミスという異様なチームだったシクサーズは10勝72敗という成績でしたが、マッコネルはドラフト外ルーキーとしては素晴らしい成績を残しました。控えPGで4.5アシストは立派。
16年のドラフトでは見事に1位指名権を手に入れたプロセス・シクサーズはベン・シモンズを指名。サマーリーグではマッコネルとシモンズが共演しましたが、そのシモンズはシーズン全休になったので、2年目のマッコネルはチームの主力PGへと昇格しました。
〇2年目
26.3分
6.9点
FG46%
3P20%
3.1リバウンド
6.6アシスト
2.0ターンオーバー
1.7スティール
2年目のシーズンはマッコネルにとって、キャリアで2番目に良いシーズンでした(1番はペイサーズの2年目)それは単純に「プレータイムが長い」という1点に尽き、実際にキャリアで最も長い時間プレーしたシーズンでした。
2年目はTS50.4%と確率が悪かったのですが、3年目以降は改善しており、マッコネル個人としては成長していくのですが、やっぱりマッコネルをスターターPGにはしないよね。要するにはじめの2年間のマッコネルは
普通はローテにはいるのも厳しい立場だったが、チーム事情が味方してプレータイムを得た
というのが正しい表現でした。この2年間がなければ今のマッコネルはなかったというか、NBAにはいなかったでしょう。いくらパスが主体とはいってもTS50%は厳しいよ。3Pも打たないので現代NBAで生き残るのは厳しい。
3年目のシーズンはシモンズがスターターになっただけでなく、初めてエンビードもまともにプレーし、そこにドラフト1位でフルツがはいってきました。それでも22.5分のプレータイムを得たマッコネル。普通ならシモンズにすべてを任せてしまいそうな中で、初めの2年で得た信頼がマッコネルをNBAプレイヤーとして生き残らせました。
ある意味で運が巡ってきていたのがマッコネルのNBA人生。マネしたくてもマネできないルートなのさ。